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爆報フライデーの名前の出せない事件・芸能人は誰か?【ネタバレ】 [実話・事件]

 5月14日にオンエアされる爆報フライデー(ばくほうフライデー)の内容は以下のとおり。

実録!名前の出せない芸能界事件簿第3弾

80年代芸能界のタブーに迫る!あるアイドルが殺された“元祖ストーカー”殺人事件…全身22箇所を刺された惨劇の裏には謎のミステリーが!犯人は一体誰なのか? 出典:Yahoo!JAPANテレビ


 この「名前の出せない80年代芸能界のタブー・元祖ストーカー事件に見舞われた芸能人」は誰か、という部分について解説します。

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5月14日の爆報フライデー「名前の出せない芸能界事件簿第3弾」80年代の事件とは



 まず、80年代とは「88年」のことになります。


 事件の被害者である芸能人は、1981年3月、8年の同棲を経て音楽プロデューサーの屋代昭彦と結婚をします。しかし、結婚生活はうまくいかず、1985年に協議離婚をしました。その元夫が逆恨みをしたことにより、事件が起こってしまいます。


 1988年(昭和63年)3月5日、復縁を迫ってストーカー行為を繰り返していた元夫が、被害者の自宅マンションのバスルームの窓を破壊して侵入。刃渡り20センチの牛刀と登山ナイフで全身22カ所をめった刺しに。致命的な負傷を負った被害者は近くの病院に運ばれましたが、お亡くなりになってしまいました。


被害者になってしまった芸能人は誰か


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 本名は神田恵美(かんだえみ)さん。西野皓三さんが旗揚げした「西野バレエ団」に所属し、活躍されていました。その後、西野バレエ団のテレビ界進出にともなって、音楽バラエティ番組『レ・ガールズ』にレギュラー出演。「江美早苗(えみさなえ)」という芸名で芸能界へと歩を進めます。


 また、歌手としてフィリップスレコードと専属契約をし、シングルレコード「涙でかざりたい」で歌手としてデビュー。このときのフィリップスレコードの担当ディレクターが、後の夫であり、加害者となる屋代昭彦だったのです。


 そのあとも「新婚さんいらっしゃい!」の初代司会者に抜擢され、女優として映画出演もしました。歌手としても活動を続け、幅広く活躍しましたが、1972年に一度引退し、故郷へ。


 翌年、1973年に再び上京した神田さんは「中里綴(なかざとつづる)」という名で作詞家活動を始めます。南沙織さんの「人恋しくて」など、多数の詩を提供して成功を収めました。なお、後に「神田エミ」という名前でも作詞活動をしています。


 そして、再度上京した当初から同棲していた音楽プロデューサー・屋代昭彦と結婚し、上記の経過をたどって事件に巻き込まれてしまったのです。


おわりのコメント


 本当に無残な事件ですね。恐怖ははかりしれないものがあったでしょう。米国ではこのような事件を頻繁に表だって取り上げる文化がありますが、日本の場合は少し趣が違うように感じます。しかし、爆報フライデーは、まさにアメリカの見せ方をまねた番組。この事件をどのように取り上げるのか、そんなところに注目して見るのも一つかもしれません。

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